芸術と職人・職人の価値 事務所便り2017年3月27日(月)No425

芸術と職人

人知れず旅に出、時に奇跡のような景色や人に触れ、胸を打たれ感動するのは、再び訪れ会うということのない、今生の別れの心を内に抱き、眺(なが)め愛するからだと思う。

どんな仕事も、芸術的な領域に達すれば一流です。

それぞれが目指すべきです。

芸術の領域は、勘と経験と精神が支配しています。

作品の創作と鑑賞によって精神の充実体験を追求する文化活動。

たとえばピカソが天才と言われるのは、それまで存在した美の常識を根本からくつがえした事にあります。

芸術とは、社会的な価値を創造することそのものです。

芸術は、常に孤独な作業です。 なぜなら、社会的な価値を変えようとあるいは、超えようとする行為だからです。

つまり優れた芸術として了承されるまで、芸術に社会的な意味や価値は全く存在しないからです。

芸術の難しさは、認められるまで、社会的意味や価値が発生しないにもかかわらず、その事を試み続けなくてはいけないと言う点です。

千四百年前に法隆寺を建てた名もなき職人たちが日本人の基礎、我々のDNAです。

芸術の裏側には哲学がありしっかりした技術があり情熱があります。

そして芸術の不思議は、それが個人的なものであるのにも関わらず、社会的なものであるところです。

芸術は個人のわがままであるとも言えますが、優れた芸術は常に社会的なものに変化してゆきます。

個人のわがままが社会を動かしていくのです。

勢いがあるとき、楽観こそが勢いを与え、力を与えます。

失敗は必ずあります。

スランプも必ずあります。自分の欠点を知り、リスク管理をする。そして切磋琢磨して自分の力を高めるのが基本です。

スポーツでは神頼みはあって練習があっても「宗教」がないのはなぜでしょう。

才能と情熱が失われない限り、その者は何らかの仕事を成し遂げるのです。

見方が正しければ勝てます。

いずれも先が見通せないから刺激的なのです。

楽しむことです。

職人の価値

強い経済のために生産性を上げ合理化を進め、満足度を上げる。

なぜそうなのか、問題の根っこはどこなのか、理屈も哲学もいる。

上客に対応と追及が活路。

先進国の日本だけがこれからも、労働人口が減ります。

今日の現状では農業を見るまでもなく様々な問題が深刻化する差し迫った危機的な状況である。

税務署の現場を見ても調査官はサラリーマンでなく調査の立派な職人でなければならないのですが、定年近くの現場において、職人を永らく見たことがない。

どうしたことでしょうか。

現場も歪んでいるのです。

消費税や個人ナンバーで職員を育てる意思やシステムは皆無?、「主権在民」の謙虚さが地方を含め役人の現場に投影されていません。

職人は仕事で育つのです。

仕事量の確保するため職人も「営業」をするのは当然ですが右下りの時代が続き嫌われています。

それをやるのが時代の職人では・・。

食料品で産地偽装が常に話題になります。地場産業の素材は外国産です。

金沢の金箔の製造が労働集約的な手作業の集積で、金箔のコストはその約半額の金価格をのぞくと、残りはす べて人件費と関連する材料と経費であることを考えれば、人件費が日本のそれの十分の一しかかからない中国の生産コストが最低でも価格は同じ、ビルが建つ訳です?。

「職人」は単純化すれば技術を持った人です。最近見かけなくなったのです。

なぜそうなのか、問題の根っこはどうなのか。

知識で仕事をするのは、自分が機械以下であることの認識がない人です。

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