実現する夢・本来の姿・二宮尊徳 事務所便り2013年3月21日(水)No294

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実現する夢

 人は、それぞれ夢や希望を、自分の「欲望」で語るものです。
 本来夢は、周りと相手で社会を良くする中にしかない。それ以外はすべて「欲」の白日夢である。
 夢の姿は、社会を良くする中で見出す筈。
 また欲を追いかけ過ぎると、過ぎたるは及ばざるがごとし。飲込まれ、かけがえ無い実に多くの大切なものを失う。
 自分で聞こえない内なる声を感じ、正直に、自分が信じるやり方で、自分の積極的なルールに従う。
そうでない限り、夢を見、経験を語る資格はないと思うのである。
  日本でも、正直の頭に神宿るという。素直で謙虚で正直にである。

 多くの失敗を重ね、これらを謙虚に学び、生かす中で失敗が活きてくる。それは小さな失敗をどれだけ多く経験するかで、確実なものがなんとなく浮かび上がるもの。成功はその一部。「失敗」を受け入れることでより多く学ぶものだ。
 時勢は手中にある?。気概を忘れ準備を怠りやらないことが、失敗でないでしょうか。
 運は、運ぶとも言う。
自分で果敢に実行し静かに掴み、静かに離れるもの。
 人に役に立ち、迷惑をかけない。遥かなる夢に挑戦である。
 古来日本では利益のことを糟粕(そうはく・かす)と言いいます。利益は後からついて来るもの・・だ。
 夢は何のため、誰のため、理想は何。目的意識があれば問題意識、危機意識、当事者意識の三つが生まれるが、権利意識に敏感に声を挙げるのが人の常である。

 三つの中で一番低いのが危機意識です。
労働力を売る感覚では弱いものです。
 どんな組織でも属する限り、それは「運命共同体」企業は働く場「城」である。
 目的意識の欠如は、忠実で無責任な、ロボットや機械と変りない。
すでに「落城」したも同じ、目的が欲なら「城」も「国」も存続の意味はなんでしょう。
 幸せの志を共有して、実行し夢が実現する。
 

本来の姿

 全て、どんなものにも本来あるべき姿がある。自然界を見れば、存在自体が適応した証明でしょう。
社会で本来あるべき姿は「強さと優しさ」です。たくましさとも言うべきでしょうか。
 多くの「たくましい」会社の存在が、社会に役立つのである。
 自己の利益にこだわり、相手や人を犠牲にすることは優しさやたくましさではない。本来優しさが「資本」であるべきです。
 独善で理不尽な行動は、根本的に間違いやすい。
 

二宮尊徳

遠くをはかるものは富み
近くをはかるものは貧す
それ遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う。
まして春まきて秋実る物をおいておや。
故に富有なり。
近くをはかる者は
春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず
唯眼前の利に迷うて
まかずして取り 植えずして刈り取る事のみ眼につく。
故に貧窮す。ー二宮尊徳が残した言葉。
 継続は力。明日以降に種をまき続けると、結局は顧客の満足と生産性の向上につながると信じる。
確実なものは過去。今がすでに過去である。今を大切にすることは、過去が未来と表裏一体だからだ。
 現代は三方よしの売り手よし、買い手よし、世間よしから、一つ増えた天よしの、四方よしと言われている。
 天(神)に恥ない行いが本当に大切、全て人間性である。

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