勇気ある挑戦・熱意と覚悟が決める・コペルニクス的真相 事務所便り2014年8月18日(月)No362

仕事を通じ顧客と従業員、仲間を幸せにし社会に貢献する
勇気ある挑戦
人格の柱は理性ではない。
頭の良い人間が人格者であるとは限らないからである。
理性は作為的であり技術の能力である。
人格は技術ではない。
人格の柱は、人間の存在論的本質である感性である。
我々は、理性的に判断するのではなく、人間的に判断すべきである。
理性的になることではなく、理性は目的や理想でなく、人間性を模索する手段でなければならない。
理性の立場から物を見、判断する事を止めなければならない。
「不安と安心」は、動物的な次元の感情として現れる。
価値の追求は、人間社会の不安や心の中における不安を解消し、抜け出し安心を築き獲得しょうとする働きである。
不安という感情は、将来を予測したり、完全やより以上を考える人間の理性によってである。
人間が宗教に求めるものは、救いや悟りの境地に安心を期待しているからに外ならない。
安心は逃避やごまかしによって得られるものではない。
不安を直視し、まともに対決することによってのみ訪れるものである。
現実からの逃避は、自己からの逃避であり、不安からの逃避場所が、真の安心場所であったなら、勇気ある挑戦である。
ー「感性の時代」芳村思風著
熱意と覚悟が決める
どうしても分からない、解決しない。見えない、壁に閉ざされた状態になった時は往々にして、現象に囚われ行き詰るのです。
こんな時は時間的に、物理的に遠く宇宙的に離れて、壮大な視点から目えてくるもの、それが自分の心に卑しくなければ正しい。
挑戦のため撤退ラインを決めて実行、そこまでは余裕があります。
万物は太陽フレア(波)の支配です。
マイナスとプラス、上下、左右を常に迷い、ブレながら不規則に揺らぐものです。
より大きく捉え、より遠くに見えたものが「気付き」それが未来です。
決断は覚悟と情熱で、捨てることにある。
コペルニクス的真相
NHKスペシャル不正の真相、科学とはどうあるべきか。
7月27日の放送で、理研(利権?)が恣意的な不完全な調査をしただけで科学者は誰にもかぎらず、ちゃんとしたことを検証したり発言したりしていないと語っています。(九州大学教授・中山敬一氏)
これはいったいどうしたことでしょう。世界に恥を晒したのに研究者の誰も声を上げない。サラリーマン、奴隷国家の牙城のよう。
一般国民は勇気も義憤も無く金の追求だけで、犠牲者を出す凋落の国でしょう。
人として優れていると思えない。利害得失にたけた人が成績が良い構図ですから、規範である理研(ノーベル賞の野依)さんが相応しいのでしょう。国家機構の縮図、手を打たないと社会が保たない一事が万事で老人特有で切れが悪すぎ、無責任な理研の顔に相応しいようだ。
大きな国家予算を使い、規則や法律以前の、人間の問題ですから、すべて腐っている現象でしょう。
社会の実態は、だんだん不正を働く人が、ものすごく増えてきています。
悪がはびこり栄え強い。
歌舞伎町あたりではとっくに日本のやくざが弱体化し外国の勢力下になっています。
赤坂のある店のオーナーは「みかじめ料は中国の系統の方に払っている」と話す。
日本やくざの弱体化は功を奏したものの外国勢力に対して既に、警察はコントロール出来ないという事実です。
「それでもスタップ細胞はあります」?